「涼」を感じていただければ幸いです。

あらたの

2021年07月21日 22:35

あまりにも暑いので、
冬場の写真ではありますが、
ダイナミックに水浴びをしている
カモの写真を蔵出しします。

「涼」を感じていただければ幸いです。










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「こんなこと知らなくても写真は写る」 <No30>

こうして始まった日本の写真の歩みですが、明治期は肖像写真や日本に来た外国人がお土産として持ち帰ったり、輸出したりするための日本の風景や文化を写した写真が中心だったようです。

いわゆる芸術写真という分野が日本で芽生えてくるのは20世紀に入ってからのことで、明治末期から大正の頃になります。その中心は営業写真家ではなく、アマチュア写真家たちでした。

その中でも代表的なムーブメントは、1924年(大正13年)、資生堂の社長でもあった福原信三と弟の路草らが、数名の写真家とともに結成した、現在活動している日本の写真愛好家団体では、最も古い歴史を持っている「日本写真会」という団体の活動があります。(https://www.jp-photo.gr.jp/)(明治期の「日本寫眞會」とは別)

福原信三の写真の考え方「光と其諧調」は1923年に発表され、日本で最初の写真芸術論と言われています。絵画主義的ではありますが、「山水画」の影響を色濃く受けて表現され、風景写真などを中心に独特の世界を作り上げてきました。

日本では芸術的な写真と言えば「色彩と階調が豊かに整った風景写真」がすぐ頭に浮かびますが、そうした日本での写真文化はここが出発点と言ってもいいでしょう。
(「一幅の絵のような写真ですね。」という誉め言葉がありますが、「一幅」は山水画などの掛け軸での言い方だということでもお分かりだと思います。)

しかし、この時代「カメラ(ライカ)1台あれば家が建つ」と言われたくらい高価なものでしたし、フィルムや薬品などのランニングコストもかかったので、お金持ちの旦那衆しかできない趣味でした。




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うつされない うつさない 
医療従事者のみなさんに感謝いたします







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