凍て蝶

あらたの

2017年11月27日 18:21

11月24日
いつもは歩くだけで精いっぱいの散歩だが、この日は調子が良かったので久しぶりにコンデジを持って散歩に出た。

坂の途中にある私の好きな銀杏の木を目指して喘ぎながら坂や階段を登る。
葉は黄色く色づいている。
そして、そのそばにあるベンチで息を整えていると、「こういうのを「凍て蝶」というんだよ」「冬になって、寒さで凍えた蝶のこと」と言いながら妻がひらひらと蝶をつまんできた。「人通りの有る石畳の上に落ちていたけど、踏まれてつぶれた形跡が無いからまだ死んだばかりの様な気がする」と言う。
見ると、海を越えて南方にわたる「アサギマダラ」のようだ。急に寒くなったので渡り損ねたのかもしれないが、「今ごろまで日本にいるかなぁ」とも思った。

木漏れ日が差し込むイチョウの根元にそっと置いて、
「お疲れさま」と思いながら写真を撮った。

「凍て蝶」と検索してみると、「大辞林 第三版の解説」として、

冬まで生きのびて、ほとんど動かない蝶。また、凍てて死んだ蝶。[季] 冬。

となっており、高浜虚子の句が添えられていた。

《 凍て蝶の己が魂追うて飛ぶ /高浜虚子 》

俳句では冬の季語らしい。同じく冬の季語の「冬の蝶」よりも緊迫感があるようなことが書いてあった。
他のページなどを見ると、成虫の姿で越冬する、○○シジミのようにある特定の種類の蝶を指すようなことも書いてあった。





そして、妙にこの句が気になった。

高浜虚子の真意を、私などが推し測ることはおこがましくて到底できませんが、

ここ数年入退院を繰り返している自分と、この蝶がダブった。
オカルト的な意味で無く、
魂が自分の身体から抜け出そうとするのを必死で追いかけて、
抱きしめている自分が見える。

この写真を撮った時は高浜虚子の句は知らなかったが、
揺れる木漏れ日が蝶の頭にかかる時をねらってシャッターを切った。
頭に光が当たる瞬間が欲しかった。

無意識に生きる光を求めているのかも知れない。
はっきりと自覚はしていないが、
私はまだまだやりたいことがあるのだと思う。










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